がん治療 休職日記 毎日日曜日

がん治療で休職しました。休職後の生活の変化とがん治療、抗がん剤の副作用について書いています

がん治療 休職日記 毎日日曜日 抗がん剤で髪が抜けます

 抗がん剤を使用すると、いろいろな副作用を経験します。

 副作用は、個々人で異なり、生活を送る際に影響を及ぼす副作用についても主治医から聞くことができます。

 

 私は、再発の時の抗がん剤では、頭髪が落ち、スキンヘッドになりました。髪が無くなることは本人からするとかなりの変化で、精神的に依然と同じとは言い切れません。私は覚悟はしていたのですが、顔のボリュームのバランスを取るため、ブルーライト避けのメガネ(度が入っていない)をかけ顔のボリュームのバランスを取ろうと思い、日々眼鏡を掛けるようになりました。伊達眼鏡。

 それでも主治医からすると、頭髪は生活の質から考えれば後回しの副作用で、下痢や便秘、内臓の機能障害、白血球数などの状態の方を優先します。私も診療を受けそのこと自体は理解します。ただ、今までと異なる自分の状態が気になって仕方ありません。

 雨が降るとすぐ気がつく、風が寒いとより寒く感じる、頭が鴨居か何かに当たるとより痛い気がする、写真に写ると頭が光っているなど丸坊主ならではの変化は挙げればきりがありません。

 

 抗がん剤の副作用で70代半ばの母が私を心配します。体調が万全でないので、埼玉の実家にも帰省ができず、姿を見せられないので、余計に老骨に心配をかけてしまいます。

 「そうかそうか」頭髪の話を聞きながら、母親は50歳になった私を子供の頃に看病していたような口ぶりです。「お前もひどい目にあったなぁ」を連呼。生活には支障がないため、頭髪でひどい目にあったと言われても返す適当な言葉がありません。

 

 その後、80歳になる父親とも電話で話します。母の心配を和らげて欲しいとの願いです。その中で頭髪のことも父に話します。母が「ひどい目にあって心配だ」と言っていると。(その当時は仕事を継続しながらのがん治療です)

 すると父親が言います。「俺なんかは、30代後半から、病気でもないが髪が抜け、その後どんどん抜けて行ったが、仕事にも行くし、生活も送っていたよ」と。そうです父親は薄毛の人生を送っていおりました。私が中学生くらいの時にはそれなりに髪がありませんでした。

 その後の事です。母に、父のコメントを伝えました。母は、「そうだそうだ、お父さんはずっと髪が無かった」と笑い出しました。息子心配で夫の状態をすっかり忘れた母に老いを感じます。

 その後、母から帽子を買うようにと見舞いをもらいましたが、頭髪の話はしなくなりました。父の頭のお陰です。