がん治療 休職日記 毎日日曜日

がん治療で休職しました。休職後の生活の変化とがん治療、抗がん剤の副作用について書いています

がん治療 休職日記 毎日日曜日 がんの再発

 がんが再発した時の事です。

 最初のがんの切除が終わり、抗がん剤の予後の投与はしませんでした。抗がん剤を投与しない副作用のない期間を大事にしようと考えたからです。日常を取り戻す気持ちです。

 再発してるかの確認は3ヶ月毎の検査で調べます。私の再発は1年とちょっと。どうやら最初のがんが腸壁からお腹に至るまで大きくなっていて、腹膜にも転移があったようです。前回手術の吻合部からの再発と複膜播種との診断でした。腹膜播種は手術適用外です。お腹にがん細胞が散っていて腫瘍全てを取り除くことができないからとの説明。

 

 「もはやこれまで」その時の私の感想です。西南戦争西郷隆盛が負けを覚悟した時に言ったという言葉そのもの。

 

 最初のがん治療は本来の姿を獲得できず副作用に悩まされる抗がん剤治療でした。転移の肝臓がん切除までの8ヶ月間、我慢の多い日々でした。それで手に入れた日常も1年ちょっとで終了。手術もできない状態と聞いての感想です。

 終末の覚悟については、初発のがんのときに何度も思考済です。「今回が2回目の覚悟をです」と言うのも変です、もちろん私は1年の延長戦を十分に生きたと思っています。慌てる気持ちではありません。

 

 治療法は抗がん剤治療。私はこの時、「あぁまたかぁ」と副作用の苦労しか思い出せません。ただ、この時には少し学んでします。やり方、薬剤も変えます。その時に右胸上に投薬用のポートを埋め込みました。毒性の強さに腕の血管がだと負けるので、胸から体内の太い血管に直に投薬すると野説明でした。※このポートの体内埋め込みの手術、小手術でしたが結構痛く難儀しました。

 

 症状を会社に説明。2週間毎の抗がん剤治療で、投薬日とその後2日間の3連休で治療を行い旨の話。2週間毎の休みの承認を取りつけます。運良く繰越の年休と該当年の年休があれば、休むこと自体は対応できそうでした。

 この時の治療は上手くいきます。播種の腫瘍が消え、原発層の切除を行いました。その際に、大腸の縫合不全の無いようにと4ヶ月間人工肛門で過ごします。人工肛門の閉鎖手術を終え、4ヶ月ぶりに大腸を使います。それで排便のリズムは大きく崩れ生活にも一部支障をきたしますが、私の身体にがん、腫瘍がないというのは何にも変え難い事柄でした。期間で1年間の出来事です。

 

 再発を告げられた時、会社の事情を優先して働くという事と、自分の事情の治療の両立を何とかできるのではと思っています。会社側は、ただでさえがんに罹患したと説明を受け驚いていますし、両立しようと前向きな相談をするわけですから、否定的に物申す上司はいません。身体を大事にとの回答を得ます。

 

 結果としては、この期間無事治療しながら仕事ができます。自分では頑張ったつもり。ただ評価は下がります。そりゃ1ヶ月で年休を6日(2週間毎に投薬で3日休み)休みますので、毎日きっちり時間通り働くスタッフと同等とはいかないですよね。

 

 「自分は頑張っている」そう思うでしょう。がんと副作用と戦い、その状況下でも業務を真面目にコツコツ、何としてもやり遂げねばと精神力を総動員しようとしますから。ただ、客観的には月に6日定期的に居なくなるスタッフ。誰かがその期間代わりをしてくれています。

  

 会社には会社の事情があります。会社の事情を優先しながら働く同僚から見れば、その間私に代わりに役割を果たし、私はいつも居ないスタッフとも映りかねません。評価について当時の私はがっかりしたものですが、今なら頷けます。

 自分の事情を優先するスタッフは会社人間ではありません。そして私は思うのです。会社人間でなくても人生が存在すると。