がん治療 休職日記 毎日日曜日

がん治療で休職しました。休職後の生活の変化とがん治療、抗がん剤の副作用について書いています

がん治療 休職日記 毎日日曜日 初めての手術

 初めて手術は、直腸がんの切除手術でした。

 がん罹患を検査してくれた地元病院から紹介状を持って、大きな病院に転院しました。

 最初海苔両方針は、抗がん剤を用いた内科治療でがんを小さくしてから、切除の予定でした。排便のこともあり、ステントを直腸に入れるための入院です。

 ベットで横になっていたら、急に外科の医者が来て、「内科で様子見るより外科的治療を優先してがんを切除した方がいいのなってので、手術することにしました」と。急に治療方針が変更となると私の方が慌てます。「手術するのかぁ」と思いはしますが、何も分からず「はいそうですか」というしかありません。

 

 手術日程に合わせて、一度退院(日常生活のために大腸にステント入れ退院)、その後再度入院します。

 そこで手術の説明を受けます。これが1番の衝撃でした。術後に可能性があるマイナスの現象を全て説明されます。「えつ、そんな目に合うの?」というのが感想です。ただ、これは過去に事象があれば、何十万分の1の出来事でも全て説明があるようです。どんなに可能性が低くても酷い症状の話を聞けば心配なるのは人情かと。

 

 手術当日はその覚悟ができます。

 それでも、当時前夜まではお腹を切るのかと「おっかなく」て仕方ありません。腹腔鏡手術で傷も小さいと聞いていても、何となく何度もお腹をさすってみたりしました。

 

 当日、硬膜外麻酔からスタート。背中に針が入ること自体がすでに「おっかない」というのが感想。その後麻酔で意識無くなり終わるまで何もわかりません。

 手術中、夢をみていたようで、看護師から呼ばれて目が覚めます。横になったまま運ばれ、「そうか、手術を受けていたんだぁ」と現実を思い出します。その手術時間11時間。

 

 家内は、待合で待っていました。朝から、待合には当日手術の患者家族がいて、かなりの数だったそう。一人一人手術が終わり待合を出て行くのに、家内は11時間待ち続けました。外もだいぶ暗くなってから私の手術終了。

 

 手術室から運ばれながら朦朧と現実を思い出す私のそばに家内が来ます。「ありがとう」と私は言います。

 仕事人間だった私はここ数年家内に感謝の言葉を言った記憶がありません。そんな私ですが、「ありがとう」と発しました。頑固男の性なのでしょうか、こんな時にしか感謝の言葉が出なかったのです。

 ICU室に運ばれながら、反省。もう少し早くそんな気持ちになればと。

 

 術後は、痛いです。切ったのだから仕方ありません。痛い時には麻酔を流せるようにと硬膜外麻酔はつながったままで、自分でスイッチを押せます。それでも初めてのこと。どのタイミングで麻酔のスイッチを押すのか分からず、痛みに耐えます。

 

 7日くらいと言われていた入院は、10日ほど。「生きていたら、こんなことも経験するのかぁ」が初回の入院の総じての感想です。初めての経験ですから、「おっかない」と思いながらも、一つ一つの事柄を鮮度をもって経験したなと思う10日でした。