がん治療 休職日記 毎日日曜日

がん治療で休職しました。休職後の生活の変化とがん治療、抗がん剤の副作用について書いています

がん治療 休職日記 毎日日曜日 歩く

 体力回復を計って歩きます。

 抗がん剤の休薬期間中に少しでも体力を回復させようと歩こうと思い立ちました。副作用はまだまだ残っています。身体が傾くとくらっとしたり、足や手が痺れていたりと、本来ではありません。ただ、今しかチャンスがないと思うのです。

 どんどん筋肉が落ちていました。家ではなるべく動く様にしていましたが、それでも少しづつ動けなくなるのを自覚する生活です。そう思うなら休薬期間の運動は必須。

 家のある区画の周りを何周もします。気分転換と言いながら排便に不都合がある私はいざとなったら家に戻れるようそうしました。スマホの万歩計を頼りに、1km、2km、3kmと徐々に歩き距離を伸ばします。一ヶ月ほど経過した時に日に6kmを歩く様になっていました。

 歩けるだけの体力ができたことで随分と自信持ついてきます。違った道を歩いてみよう、そう思った私は、普段全く歩かない道を歩きました。階段があります。そうしたら昇れないのです。膝に痛みが出て手すりに捕まりやっと上がっていくような始末。ふらつきでの転倒や手足の痺れを考えて、平地を歩いてばかりいたので、昇り降りの筋肉がないのでしょう。膝への負担は、痛みとして返ってきました。

 翌日からスクワットを少しづつ実施すつ日々を始めることにしました。一度無くした体力を戻すのは容易ではないですね。

がん治療 休職日記 毎日日曜日 急な発熱

 がん治療で抗がん剤の効果がありました。今は、経過を見るとの診断で、一旦抗がん剤が休止されています。

 

 抗がん剤の副作用は様々で、その元となる投薬がないのですから、徐々にダメージを受けた身体が回復しているものと期待しておりました。大事をとって、急な外出もしないし、体力をつけようと家の中ではこまめに動きます。

 

 抗がん剤休止から5週間になろうとする時期、急な発熱がありました。風邪を引くにも外出もしていないし、家族の誰かが外から菌を持ち込んだなら、その家族も同様の症状が出るはず。しかしピンピン元気です。

 不明な発熱に5日間悩まされました。一時は39.1度まで発熱です。フーフーいって顔は真っ赤。とてもじゃありませんが、副作用を気にするどころか解熱をどうしたものかと悩みます。

 

 この間に経過観察の診療の予約がありました。発熱していると建物入り口で入れません。病院にその旨連絡し、年明けに診療をずらしてもらいました。何だか、良くなると期待を持てる生活に水を差す様な出来事。がっかりです。

 

 発熱がひどく、日中横になります。家内は出かけていて、家には息子しかいません。すると息子が私の症状を心配してくれたのです。体温計を持ってきて、熱を測ってみろとか、何か飲み物でも持ってこようかと。

 何もすることがなく横になる時間が多いと、昔のことを思い出すものです。散歩の途中で眠くなって、抱っこをせがむ息子を抱き上げ、そのまますぐに寝入ってしまったことや、ベービーカーから後ろ向いては私の顔を覗き込んでにっこりしていたこと、百貨店の喫茶店で抹茶パフェを食べながらおいしいねと言っていたことなど、様々です。

 

 高校生になったとはいえ、こいつも親に気を使うのかと感慨深いです。感慨ついでにお茶を入れてもらいました。きっと茶葉の量がわからないし、お湯の温度も分からないのでしょう。暑くて苦いお茶を不慣れな感じで寝室まで運んできます。

 一口そのお茶を飲んで私はいうのです。「あぁ、美味しい。ありがとうな」。世の中にはもっといいお茶を飲ませるところが沢山あります。それでもそう言います。あの小さかった坊主がここまでできる様になるとはという親心です。

 

 仕事中心で何もしてやらなかった割に、がんの回復時に発熱した父を哀れに思ったのでしょうか。

 ただその時の私の居間での独り言があります。

「親の心子知らず」

「立てば這え、這えば歩めの親心」

「親思う心にまさる親心」

 でした。

 

 弱りきった父親を見て、私の繰言を思い出したのでしょうか。その真実は分かりません。真実として言えるのは、私が出されたお茶を美味しいと思ったということです。

がん治療 休職日記 毎日日曜日 年賀状を書く

 がん治療をしながらも、年末は年賀状を書きます。

 

 その時に、今の私の病気の状況を書くべきか悩みます。病気とかけば、心配かけるだけだし、がんと書けばさらにどう暮らしているのだろうとより心配をかけます。休職中と書けば、何でそうなったのかと、それはそれで憶測を呼ぶものと思います。

 

 この年になると、年賀状が年に一度のご挨拶になっている方も多いです。それでも、無事に暮らしていると知らせをもらうと、友好中当時の思い出など思い出すもの。そうやって遠くに行った友人の今を知ります。

 

 そんな年に一度の挨拶の話題に、私の病は不向きです。全く病気のことには触れずに書きます。今を表現しない近況報告がメインとなるのですから皮肉です。知り合いには私は無事に暮らしてると。

 

 直腸がんになり、その時には転移の肝臓がん2つ。その後直腸がんが再発、腹膜播種の状態でお腹の中にはがん細胞でいっぱい。さらに原発巣のがんの切除で、縫合不全を防ぐため人工肛門で四ヶ月過ごし、人工肛門閉鎖の手術もしました。

 全快の判断の日に転移の肺がんが5つ以上あるとの診断。もちろんそれぞれに抗がん剤治療を行っています。

 今はいくつかあった肺のがんがなくなり、残ったがん細胞も微小な腫瘤となって投薬が一旦休止。それが現状。

 

 これを時系列で語るには対面でないと難しいと思います。もう4年と数ヶ月治療を継続しておりますが、年賀状の季節には色々と考えてしまいます。往時の友人たちに自分の病歴なんて披歴しませんよね。そもそも年に1回の挨拶なんだから。

 

 それでももらった年賀状に自分の今を心配する文言がある友人もいます。安心して欲しいと言いたいですが、それはそれ。その年賀状に返信することはありません。

 

 年に一度の挨拶と言いながら、年末になると色々と考えるものです。もちろん私が、友人恩師を心配することもありますが、その逆もあります。それでも説明が尽くせないなら伝えません。そんな挨拶を続けています。

 

 健康の大事さはこんな日常に実感するものだなぁと思う年末です。

がん治療 休職日記 毎日日曜日 長引く副作用

 がんん治療の抗がん剤副作用で、長引くものがあります。

 

 がんの微小化に伴い、しばらく休薬となりました。徐々に体力も体調も復活していきます。段々と元気になるのが自分でもよく分かります。その一方で、中々元に戻らない箇所もあります。色々ありますが、主に手足に出た副作用がそれに該当します。

 

 て足にしびれが出るのですが、これは回復しづらいです。足の爪も中々生えてきません。指の爪も同様で、厚みが薄くなり割れたままです。三半規管も昨日しづらく、体のふらつきも長引きます。頭髪もまばらで生えており、今後元に戻るか心配です。目の焦点を合わせる筋肉が弱くなり、ピントが合わないのもずっと続きます。

 

 1クール程度、休薬して体力を回復させ、再度投薬を実施することはあります。それは薬に耐えうる体力を回復するのが目的です。ただ、投薬を一旦休止して色々な副作用が元に戻るかと言えばそうはいきません。

 

 薬のせいで副作用と一概に言っても、治りづらい副作用があることは色々なところで学びました。今、自身の身体に起きている事柄からも自覚できます。回復にどのくらいの時間が掛かるのは千差万別。私にとっても、私のなりの時間が必要なのだと思います。

 

 比較的早く回復基調なのは口内炎と味覚異常。薬の休薬で、すぐに実感できました。口内炎はできづらくなりますし、味覚異常がもとで食べづらかった食材も、徐々に食べられるようになっていきます。

 このほか、落ちた筋肉も徐々に戻せると思えます。体調が安定するので体が動くようになり、それを自覚できます。

 

 がん治療の過程では、様々な事象を抱えながらの治療になります。今回の私の様に、休薬中に、再度体に残った微小のがんが動き出せば、また投薬への逆戻り。戻りたくないなぁというのが本音。根治できない状況での休薬では、仕方ありません。

 

 がんになり、治療をすることで、人生の延長戦を手に入れました。この延長戦の時間が穏当に過ごせることが私にとっては大事なこと。そうした時間、穏当な日々を求めたいものと思います。

 

がん治療 休職日記 毎日日曜日 がん情報

 がん情報は玉石混交です。YouTubeを見ていても全く反対の事を主張する番組がります。

 

 抗がん剤を使用し、可能なら原発巣の切除手術も行う標準治療に基づいた治療の話もあれば、抗がん剤は使うな、がんは切るなという主張もあります。

 私の場合は内容を見てどちらに納得性や説得性があるかで、標準治療の有効性をという番組を見るようになりました。

 

 現実私のかかっている病院では標準治療をもとに治療しておりますし、私のがん治療もそのおかげで回復に向かっています。がんを切るなという主張を信じてそうした治療をしていたなら、今頃、私は死んでいたと思います。

 

 最近、重曹でがんが治るという説をイタリヤの医師が唱え、その著書が日本でも読めるようです。ただ、その内容自体には科学的根拠がないそうです。実は、私の母も周りの人からの助言で私に重曹を飲めと送ってきました。がん患者を抱える人の周りには、いかに良かれと思う意見が多いか、そして、その意見が医学とは全く異なっているかとは無縁の意見が多い実態があると思います。

 

 重曹は、飲んだら、塩と水と二酸化炭素になると知りました。化学式で胃酸が足されれるとどうなるかわかるようです。つまり炭酸の塩水を飲んでがんを治そうとするのと一緒とのこと。確かに、塩でがんが治るならそんな気楽な話はないと思えます。

 

 身近にある情報に私の母も乗せられて、がんを患う息子に良かれと思い何か送ってくる、そんな事柄、実際にはどこにでもある現象なんでしょう。ただ、それで却って健康被害が出たらどうするのか。良かれどころか、悪き提案でしかありません。

 

 YouTubeには様々な意見がありますが、根拠の薄弱なものに、藁をもすがる気持ちとなり騙されたくありません。事実や臨床など結果のあるものの中で治療を進めたいと思います。

 

 がんになると、遠い親戚の方が問題になるなんて話もYouTubeで聞きます。そうした当事者ではないが、良かれと思う人たちの善意が却って混乱を招くという話です。

 

 本当に気をつけたいものです。

がん治療 休職日記 毎日日曜日 色々な人がいます

 がん治療で私が見た患者は、それぞれ全く違います。

 

 抗がん剤治療は、化学療法の部屋にて点滴を受けます。そこには色々な人がいます。リクライニング付きの大きな椅子で数時間を過ごすのですから、見ようと思わなくても、目に入ってきます。

 

 カーテンを閉めて、開けたらパジャマになっている人もいました。リクライニングをとにかく水平近く倒して寝込む人もいます。椅子のままでじっとしている人も。私は抗がん剤が身体に入るとどんどんぐったりしてくるのですが、入室してきた時と変わらず元気なままの人もいます。

 

 そんな光景を見ながら、「人それぞれだなぁ」と思います。きっと症状も、主治医から言われていることも、治療法も人それぞれ。看護師との話から投薬の薬物が一緒だとわかっても、私のようにぐったりする人ばかりではありません。

 

 がん種も様々なのでしょうが、不思議なものです。きっと治る経過も全く異なるのでしょうし、悪化するのも同様でしょう。そうしたことを思うとこうして、私自身の身に起こったことを書き留めるのは意味があると思うです。

 

 人それぞれなら、違うのが当たり前、そんな個別の話どうでもいいと思いがちです。しかし、私が初めてがんと言われて時には、がん患者のイメージが今とは全く違っていました。

 ドキュメント番組にせよ、ドラマにせよテレビ等で見かけるがん患者は体調不良なり、不幸と闘う姿なり、辛い場面が多いように思います。何ということもない日常を送る姿はあまり見かけません。

 

 イメージ自体が、個々別にあるがん患者の、様々な姿を表していないのです。そうか人それぞかと思う今と、今後の苦悩や辛さ、家族の悲しみなど通り一遍のイメージとは異なることなど、がん成り立ての時には全く思い付かないような今・日常を送っています。

 

 私の書き留める、私というとあるがん患者は、その様々な人の一端となると思います。世間に知られる画一的なイメージとは異なるがん患者が、実は現実の姿だと思うのです。なので、素の姿をそのまま書き留めています。

 ぐったりして横になり、気持ち悪さから嘔吐を繰り返し、周りの心配を見ながら、本人が必死に歯をくいしばって頑張り、辛さと闘い、さらにそれを家族が涙ながらにそれを支え、数ヶ月後に他界するというようなTVでよくある姿とは違います。

 

 医療が発達してイメージ通りではなくなったのかも知れません。それでも。人それぞれ。個々に症状があり、患者の見る景色はそれぞれ異なるのです。

がん治療 休職日記 毎日日曜日 2度目の直腸がん手術

 再発は直腸がんでした。2度直腸がん手術をして直腸が切除でなくなります。

 

 再発して抗がん剤治療後、原発巣切除の提案を主治医からもらいました。がん治療では何処かで挑戦もしなくてはなりません。直腸を切除して、肛門と大腸をつなぐ手術を受けることにします。

 

 この手術終わってみないと分からない副作用があると説明を受けます。肛門と直径の異なる大腸の縫合不全をを防ぐため一時人工肛門で過ごすこと。その後の排便回数が増えること。これは貯蔵機能の大腸がなくなるためで、大腸がら便が送られるとすぐ便意をもよおすからとの説明。場合によっては、気づいたら便が漏れる症状が出た患者もるなど。

 

 それでもその切除手術に挑戦。がん細胞を抱えながら過ごすより、不便のある生活覚悟で挑戦することが根治しないまでも、がん細胞のない身体を求めたかったのです。

 

 実際には術後どうか。排便回数は増えました。一日5回から10回の排便。同時にいつ出たくなるか本人には分かりません。早朝、日中、夜中いつ排便をもよおすか分からず、生活上の不安も感じます。

 それでも時間経過により少しづつでもリズムが整うとの説明は受けていました。実際に時間経過と共に排便のリズムは整ってきます。回数は減らないものの安心の要素として自覚できます。

 

 事前に指摘を受けた気がついたら漏れていたという症状は私にはありませんでした。幸運です。こうした症状は診療でも何度も確認されました。術後の経過としては良い結果であるとの言葉を主治医からもらいます。

 挑戦して良かっというのが感想、本当に幸運だと思えます。

 

 私の場合、生活上の不都合、不安の症状もあるとの解説を聞きながらも、挑戦できたことで却って安心の結果を得られました。個別の案件かと思ぃますが、そんな事例もあると申し上げたいと思うのでした。