がん治療 休職日記 毎日日曜日

がん治療で休職しました。休職後の生活の変化とがん治療、抗がん剤の副作用について書いています

がん治療 休職日記 毎日日曜日 俺から仕事を取ったら何が残る

 サラリーマンとして仕事をしていると、没頭して集中する期間ができます。先も見えるし、敵も見える、見えないのは味方であるはずの上司の考えくらいです。仕事人間の時期を皆が持っているのではと思います。

 そんな時は先のこと、特に老後のことなんて考えません。私も仕事に熱中していた時は、老後何しよう?と自身に問いかけても、何も思い付かないまま、そうした問いかけ自体をしなくなりました。

 そのくらい、軌道に乗っている時は、自分の将来で、大事であるはずの老後について何も考えないものかと思うのです。

 

 健康だけが自慢の私ですが、がんになったのは48歳の時。そこから3年半、間に寛解の時間があったものの、ほぼ闘病の期間です。今回、出てきた症状が悪く、休職をするわけですが、仕事をしないという状況は老後と一緒ではと思えます。

 

 考えてこなかった大事な将来が急にやって来ました。そこで老後についての社会学者の文章を読みました。興味深い指摘があります。

 老後にはキョウイクとキョウヨウが必要、そんな文です。キョウイクとは「今日行くところがある」、キョウヨウとは「今日用事がある」の略なのだそうです。示唆に富む話でした。

 休職することで、行くところと用事があることの意味を味わっています。病院に行くのは立派な行くところですし、休職で費用削減で生活をダウンサイズしたので、そのための来客は用事かもしれません。

 

 その昔、「濡れ落ち葉」という老後の表現がありました。妻の行動にピッタリくっついていく男性サラリーマンの老後を揶揄した言葉です。用事が無いから、妻の用事にとにかくくっついて行くその姿を「濡れ落ち葉」。

 そんな話何度も聞きながら、いざ自分のこととなると準備不足なのかもしれません。それでも、一つ一つ思いついたことをしてみようと考えています。時間があるのですから。

 

 損得のない頃の趣味、子供の頃興味を持っていたこと、大学で学んだ時の興味の在処、そんな切り口でも良いのでしょう。今、がんと伝えられ、来し方を思う傍ら、今日明日明後日の過ごし方を考えています。体調が安定している時の過ごし方。

 この今日明日明後日の過ごし方の方が、とても大事な事という気がします。小学校の休み時間、机に座って何もしていない児童のよう、きっと先生が居たら言うはずです。「校庭にでて遊んできたら?」と。

 私、52歳にとっての校庭に出てみようと、姿は無い先生の言葉に促されています。