がん治療 休職日記 毎日日曜日

がん治療で休職しました。休職後の生活の変化とがん治療、抗がん剤の副作用について書いています

がん治療 休職日記 毎日日曜日 蕎麦を打つ

 私の母は、私が子供の頃からうどんも蕎麦も家で打っていました。

 お客様が来る時は、よくうどんを打っていました。ただ、私は母の打つ蕎麦の方が好きでした。その蕎麦打ちを教えてもらうとというのが今回の話題。大人の趣味で蕎麦打ちのカテゴリーはあると思います。食材、器具、どんな環境で打つかなどこだわりもそれぞれ。帰省して教えてもらいます。

 

 子供の頃は、コシのあるうどん・蕎麦のために練った下地を足で踏む作業を手伝いました。その後の伸ばす作業や麺となる切る作業はさせてもらえません。水分のあるうちに打ち終わらないと、端の方がひび割れ、ボソボソのうどん・蕎麦になるからです。

 蕎麦粉だけで練る、コシのために踏む、伸ばす作業と切る作業をします。うどんよりは細いけど、よく見かける田舎蕎麦より太くしか切れません。TVとかで見るサクサク細かく切る作業の難しさを思い知ります。茹では頃合いが難しいです。浮いてきた麺、1本を食べてコシを確認します。それでも、出来上がりは茹でが足りず、コシというより、こわい(硬い)感じの仕上がりになってしまいました。

 

 蕎麦打ちをしようと思い立ち、道具を購入して十数年。やっと実施できました。お袋は十数年前の約束通り、打ち方を教えてくれました。

 私の課題は、かつてのお袋の味を求めての取り組み。老齢な母の打つ蕎麦が子供の時とは違う気がしています。歳とともに打ち方が変わったのでしょうか?私の味覚がかつてと違うのでしょか?それでも子供の頃に食べたあの大好きな蕎麦を求めています。お袋にはもちろんかつての味の方が良いなんて言えません。自己満足の為の私の試行錯誤の始まりです。

 

 休職中と言いながら、蕎麦打ちカテゴリーに手を出しました。徐々に上手くなるでしょうか?上手くならないまでも、継続できたら御の字です。私にも今後打ち込める新しい趣味ができるかも知れません。

 何もがん治療、休職で縮こまっている訳ではありません。置かれた環境下でできることをします。それが人の暮らし向きの素地と感じています。経済活動にはない、人間の一側面を獲得したのかと思います。

 

 それでも、小さい頃何の疑いもなく、母の蕎麦打ちを手伝っていた時の、ずっと忘れて置き去りにした記憶を、引っ張り出していたのかもしれません。小さい時、その頃の事。母が言います、「蕎麦を打つから手伝って、踏むだけだから」と。あの頃の自分を取り戻しているるとも感じるのです。