がん治療 休職日記 毎日日曜日

がん治療で休職しました。休職後の生活の変化とがん治療、抗がん剤の副作用について書いています

がん治療 休職日記 毎日日曜日 母の心配

 がんに罹患したというので、私の70も半ばになった母は心配します。

 

 4年経過した今でも同様です。月に何度か電話をよこして、私の症状を聞いては、「大変だぁ、ひどい目にあったなぁ」を繰り返します。もちろん大変な時はあります。それでも、そこまで言われるほど症状はひどくありません。恐らく母は、私が治療や薬の副作用で想像を超えたひどい目に遭っていると思い込んでいるのでしょう。

 

 私が幼少の時です。熱を出して、ふーふー言いながら寝込んでいると、母は覗き込むようにして枕もとに来ます。「身体の調子はどうだ?」と何度も聞いてきたものです。私は熱にうなされながらでも、母が私の様子見をしてくれるのは大変心丈夫であったと思い出せます。

 

 今の様子伺いは、電話です。電話で私の症状、例えば、口内炎がひどくて食べられないと言えば、介護食のようなレトルトを送ってくるし、果物なら比較的食べていると言えば、果物を送ってきます。間食ができるようになったといえば煎餅。一事が万事そんな具合です。

 私の家族にもとということで、実家の畑で収穫した芋でも葉物野菜でも、根菜でも何でも送ってきます。不器用に梱包された段ボールが届くたびに。母の心配を気に留めずにはいられません。

 

 私は電話で母に説明します。休職して、治療に専念しながらも無事に生活を送り、のんびり過ごせていると。それでも老齢の母の思い込みはいかに説明しても中々解けません。息子が50歳を超えても母は母なのでしょう。子としての扱いが家族を持ち子育てしている私にさえ向けられます。世の中、世間の親御さんも一緒なのでしょうか?

 

 不器用な梱包の段ボールが届くたびに、私は、幼少の頃、枕元で、私を覗き込む母の顔を思い出すのです。