がん治療 休職日記 毎日日曜日

がん治療で休職しました。休職後の生活の変化とがん治療、抗がん剤の副作用について書いています

がん治療 休職日記 毎日日曜日 有給休暇使い果たす

 がん治療で、治療日には有給休暇を使っていました。直腸がん再発の時で、仕事しながらの治療です。

 

 この時は運が良かった。生きていると困難の中にも幸運があるもの。そうした事を経験すると明日を信じて生きられます。

 この時、会社で年休の仕切り直しがあり、私に付与された年休に数がかなり増えていました。治療は二週に一回。当日の抗がん剤投薬と翌日、翌々日の補助での抗がん剤投薬がありました。シャトル嬢の薬剤を、投薬継続として家にぶら下げて帰ります。この三日間は全く気持ち悪く動けません。

 

 火曜日に投薬すると、木曜まで点滴継続。その後、金曜日を休んで、土日の週休があります。この週の有給取得日数は四日。一ヶ月では八日間。有給を取得することになります。

 抗がん剤は六ヶ月間行いました。つまり週休の二日を除き、48日は年休。そのかん年明け業務で、通常業務と異なることで数日年休を取得。

 この時だけで50日以上を有給休暇で休みました。

 

 治療にとおては追い風。安心してや住めます。

 仕事と命とどっちか選べというなら命の一択でした。同僚には業務上の迷惑がかかったかも知れません。しかし、病を抱える人間が同僚にいるようなことは、人生のどこかで起こるものとも思うのです。

 

 自分を正当化することはできませんが、本人はこの時、会社からの評価が落ちるのですから、それで相殺と理解します。それはそうです。皆が出勤する日におらず、その間は同僚・後輩・先輩が私の業務を引き継ぐのですから。

 

 会社には、休む人間を快く思わない人間もいます。三度目のがん発症時に休職を選んだのも、付与された有給日数が大きく影響していますが、快く思われない時間をやりくりして、足りなくなる有給休暇日数を総務なり、上司なり、経営者に相談するより、潔い治療時間確保した方が良いのではと考えました。

 

 傷病手当で暮らすには、家族には収入面で迷惑かけます。しかし、家族とはありがたいものです。私のマイナス部分より、私の命の継続を優先する考えを持っていました。

 サラリーマンも一人一人を分解すれば、家族に対し、私の家族がもつ考えと同様の考えの持ち主が多いのかも知れません。しかし、集団となると異なります。どこかかに定期的に約一週間休んでしまうスタッフがいると、会社の部品として、迷惑だと考えるのも道理でしょう。

 

 私には、そういう意味で帰るところがあって良かったと思います。人生の様々な側面が見える「がん治療」です。

がん治療 休職日記 毎日曜日 保険で助かる

 がんの宣告時に気になるのはお金の話。保険があって助かったという話です。

 

 私が30代の時に保険を勧めてくれたのは、転職した先輩でした。その時は何の保険にも加入しておらず、人間として信頼できる先輩の勧めなら迷う事なく、入会しようと保険契約をしました。

 

 その後40歳で私が転職。諸事情の変更を申請します。すると、契約内容を新しくして、今の医療に合わせた契約にすべきと助言がありました。これは前述の先輩からも教えてもらったこと。どうしても医療の進歩があると、古い契約で適応外になるケースがある様です。

 最新の事情に合わせた契約がより有効性を発揮します。当時私は、同様の保証で契約を更新しました。もちろん保険料は上がります。50歳の契約更新時には、保険料のこともあり規模を小さくする予定でした。

 

 がんを発症したのは、48歳。実は保険の更新年齢が50歳。あと1年半後には更新。年齢が進むと保険料は上がります。歳を重ねれば、病気にもなりやすいですし、入院の要素は増えます。

 項目別の保険料を見て、どの内容にどれくらいの金額の保険料を掛けているのか分かります。金額の高いところこそが一番可能性として高い内容です。これもよく見た方が良いと前述の先輩の教えです。

 

 結果、がんに罹患で、数百万の保険がおりました。この初期の金額で治療費につてい心配がいらなくなります。入院についての保証と、がんにまつわる手術における手当などももちろんあります。(転移がんの切除、再発の直腸がんの切除、手術後の経過措置としての人工肛門の閉鎖手術、それぞれの入院費など、常に費用はかかります)

 

 生命保険はこの一社だけの加入でした。既得権として、この会社に今も頼っています。がんが再再発した身の上では新規の生命保険には入れません。ただ、この一社が命綱となり、私の経済的な副作用の心配を取り除いてくれました。

 

 健康だけが取り柄の私は、若い頃から長生きすると思い込んで生きていましたし、病気の「び」の字も気に来た事がありません。それでもその先輩の人柄・人格の信頼性で保険加入をしました。

 人生とは数十年の時を経て初めて強く意識する、「お陰様と感謝の念」でつながる時もあります。そうした人がそばにいたことを、奇跡に近い出来事だったなぁと思うのです。

がん治療 休職日記 毎日日曜日 家内の支援

 がん治療を続けるにあたって、家内のささえがあって何とか成り立っています。

 

 抗がん剤投与や、検査の日、副作用のための外科以外の問診、必要書類の提出や受け取りなど家内の運転で病院まで行きます。特に抗がん剤投与後はフラフラで顔面も蒼白、気持ち悪いなんてもんじゃありません。約3時間の投薬ですが、終わり頃を見計らって家内が迎えに来てくれます。

 

 口内炎や味覚異常の時でも、三度の食事の用意をお願いしています。今日は食べられそうだとか、量は少なくていいとか、食べられそうなものは何かとか、私以外にも家内も必死に考えて用意してくれます。

 それでも一口食べて、無理だと思うと食べられない時もあります。、朝調子良くても夕飯の時には食欲がないというのも、またその逆も日常茶飯です。

 

 家内が一度、食事の用意で万歳したことがあります。「せっかく作っても食べない」とか、「そもそも何を作ったらいいか分からない」とか、「食べてみないと分からないと本人が言っても自分はもっと分からない」とか、そんな理由でした。それでも食事含めた私への支援は続けてくれています。

 

 世の中には、夫の病気を理由に離婚する家庭もある様です。家内の遠い知り合いだけでも2件の事例があります。

 「病気の面倒見られるほどの愛情がないと分かったので、離婚した。夫は実家に行った」というのは直接当人から聞いたそうです。世の中甘くないと思います。十数年の夫婦関係なんで病気一つで壊れるのかと、自身の今の環境からは感慨無量です。

 

 芥川龍之介の小説で「蜘蛛の糸」というのがあります。悪人の主人公がかつて蜘蛛一匹を助けたことで、死んで地獄に落ちた際に、お釈迦様から蜘蛛の糸一本の情けを受ける話です。結末は、ご存知の通り、自分の糸だと主張して他を顧みない叫びで糸が切れ地獄に逆戻りするという内容。

 

 家内の助けをもらう私は、見えない蜘蛛の糸にぶら下がっているのかもしれません。世の中、たとえ妻でも病気一つで夫を放り出す時代。私の身に起きてもおかしくなかった。それでも家内は必死に私とは異なる困難を抱えながら、私の回復のために助けてくれます。

 家内は、私の治療スケジュールを中心に家事を回し、息子のスケジュールを見ながら日常生活を送っています。自分のためというより家族のため。仕事人間の私が休職することで見た家内の日常は家族のための生活でした。

 

 私のつかまっている蜘蛛の糸は一本でしょうか。そんなこと思いながら過ごすと、その糸とは、大変強固で、太い糸。そこにぶら下がらり、必死に登って日常生活という目的地まで辿り着かせてくれる糸なのかもしれません。家内の支援に感謝の念で一杯です。

がん治療 休職日記 毎日日曜日 みかんの皮

 抗がん剤の副作用で、爪が割れ、指先が痛みます。抗がん剤の投与で、命にかかわらなくても、日常生活を送るのに支障をきたす副作用があるという話です。

 

 みかんを食べようと、皮を剥く時、指先が痛くて、家内にむいてもらいます。立てた爪が内側に向かって曲がるので、爪が立ちません。ただそのまま力を入れれば、痛いのです。爪が薄くしか生えて来ず、爪が内側に曲がり、そもそも痛い指先に力がかかるためです。

 この他にも、指先が痛いと、ボタンをかけずらい、箸やナイフ・フォークを持ちづらいなどが例に挙げられます。もちろん足も同様で。私の場合足の爪は数カ所なくなりました。

 

 爪が割れるのは、日常では結構面倒です。衣料でも、タオルでも寝具でも、引っ掛かるとそこから剥がれます。その瞬間痛いです。引っかかって「あぁ痛い」と思った時には爪の一部が剥がれています。

 トイレでズボンの上げ下ろしでも同様です。何か日常の動作で痛いというのはこれはこれで困りものです。ただ、このことで治療をストップもできないとも思うので、注意深く生活することになります。これがストレス。

 

 投薬前の診断で、手の皮、足の皮が剥け、皮膚が割れて数カ所血が滲み出た時がありました。こには流石にひどいとなり、症状を見た看護婦が助け舟を出してくれて、投薬スキップしたこともあります。

 診療前には症状を記入するアンケートがあり、生活について聞かれます。その項目にも「ボタンをかけずらかったか?」という項目がります。健常な方からすると「なんでボタンかけられないの?」と思うかもしれません。しかし本当に指先が痛くてボタンがかけられないのです。

 

 足の症状が悪い時には、スニーカーでミュールタイプ、踵のないスニーかーを購入しました。かかとがずる剥けで、血がにじみ痛むので、通常のかkとのあるシューズが履けなくなったからです。

 

 ゼロータという飲み薬の副作用です。症状について主治医と話しながら、薬をエスワンタイホウという薬に変更してもらいました。日常生活の支障を少しでも軽減するためです。

 

 今日も私はテーブルの上のみかんの皮とにらめっこしながら、買い物に行った家内の帰りを待つのです。

がん治療 休職日記 毎日日曜日 入院して思うこと

 がんの切除手術(何度か入院しています)で入院した時の話です。

 

 入院すると、見舞客が来ない限りほとんど喋りません。ずっと無口です。同じ部屋には数人は入院患者がいますが、余程のい喋り好きでないければ、他の入院患者に話しかけることもないです。

 特にサラリーマンの入院患者は(私もそうですが)、他の患者がうるさく思わないかとか、騒がしくしないかとか、病院のルールはどうなっているかとか気にする姿を多く見かけました。

 

 老齢な方には、朝、目が覚めたからだけが理由なのか、6時前でも電動の髭剃りを起動させて、看護師に注意されたり、昼は寝ていて、夜皆が寝静まった時に、ナースコールを連発したり、手術後すぐで水飲んじゃダメと注意されているのにうがいしたいとして水がくると飲んじゃったり、動きづらいからと、体に装着されている検査観察用のコードは外したりと、かなり無法な様子を見かけていました。

 

 私はがんになる前は健康だけが取り柄のような生活者でした。そんな私が入院を目の当たりにするのは、息子が3歳の時です。

 

 息子は、川崎病で、お茶の水にある大学病院に入院しました。3歳でも親の付き添いは禁止されていたので、息子は1人、病院で数日を過ごします。様子を見に病室を覗くと、ベットに腰掛け、足をブラブラさせながら、看護師さんと話す息子を見ました。

 

 私に気づいて、何だか恥ずかしそうな顔をしながら、笑顔を出してこちらを見る姿に、何だかこちらが泣きそうになったのを覚えています。小さな手の甲に点滴の針を刺し、子供だからかその針を包帯でぐるぐる巻にして外れない様にしていました。

 入院すると点滴は必須なのでしょうが、親から見ると痛々しくも見え、それもまた泣きそうになるのです。私にとっての入院の風景です。

 

 自分が入院するなるとどうでしょう。ほぼ毎日ですが、2時間ほど家内が様子を身にきます。その時だけ人と話ができます。家内が来られない日はもちろん無口。人と話さないと何ともつまらなく、コミュニケーションを欲する様になります。

 

 ある時、隣のベットのご老人と研修できている看護師の話が漏れ聞こえてきました。研修の一環で患者に寄り添うそうです。患者のお話聞きますということらしかったです。

 そのご老人は、なぜか「〇〇で生まれてなぁ…」と自身の生涯を話し始めました。それを聞いて一日無口で過ごしている私は、自分の人生の話を聞いてくれるなら、数時間でも話ができるのになぁとそのご老人を羨ましく思うのでした。

 

 世間ではスパーのレジでも店のスタッフの話しかける老人がいますが、自分が誰とも話さない日を送ると、誰かと話したくなるものだと日常を思い返し、実感します。

 

 家内が、なるべく毎日を前提に1時間から2時間ベット横で過ごしてくれます。その時私は、入院していたあの時の息子の様に、ははにかみ、笑顔を作ることはできませんでした。ただただ、時間をつまらなく過ごす入院で、心丈夫になる瞬間です。

 きっと私は心の中では、家内に対し、3歳の時のあの時の息子のように、はにかんだ笑顔だったのかもしれません。

がん治療 休職日記 毎日日曜日 眼科

 がん治療で抗がん剤の投与をすれば、副作用があります。目に出てきた副作用の話です。視力低下ももちろんなのですが、近くのもの中心にピントが合いません。

 

 目の副作用は、飲み薬のエスワンタイホウという補助的な飲み薬の抗がん剤で起きやすいそうです。私は、このエスワンタイホウという薬を初めて服用したのは、転移の肝臓がんを縮小させる意図での服用でした。

 

 兎に角涙目になって、ぼやけて見えるのです。当時の主治医にその事を伝えると、失明の恐れもあるのですぐに眼科にということで、同じ病院nの眼科に予約を入れてもらいました。

 

 目には涙腺というのがあって、涙の通り道です。その涙腺がつまり、涙が通らなくなると涙目に、そして、目のピントを合わせる筋肉が薬の影響で影響を受け、ピントが合わなくなる、そんな症状との診断でした。確かに抗がん剤を投与すると染みる目薬を入れ続けている様な、目をつむりたくなる様な時がありました。涙に抗がん剤が混ざり流れるのだそうです。

 

 ピントが合わず、初期の検査では老眼鏡を作るところまで対応しました。ただ、その後、転移の肝臓がんを切除し、生活が元に戻ると今度はその老眼鏡は一切利用しません。何だか散財の様な気分です。

 それでも涙目になるのが治らず、眼科だけはずっと通うことになります。涙腺に棒の様なものを差し込んで涙の通り道を確保するという処置を行ってもらいます。

 

 次にエスワンタイホウを利用したのは、肺への転移がんの治療の時です。これも同じ症状で、時間をかけて回復している目を悪い所まで戻す結果になります。眼科の先生から視力が2.0、1.5あった視力が1.2、1.0まで低下して、涙腺のいくつかは詰まっていて通らないと診断を受けました。

 こうなると、日常的には常にハンカチで涙を拭い、ボヤけて見える対象物が見えるまでにらむ様な見方になります。そして何より、読書ができません。その時には出来合いの老眼鏡を購入したのですが、それでもピントが合わないのです。

 

 目の症状は直に命に関わる症状ではににしろ、不便で不快極まりないです。

 この症状は、休職しているからこそ、家で危なくなく過ごせます。もし働いていてオフィスにでも通うなら段差につまずいて怪我をするとか、信号を見誤って交通事故に合うとか、ただ転ぶとか色々な心配が付きまといます。

 

 私の身に起きた事は常に主治医に報告します。どんな事でも私の身に起きていることは、私にしかわかりません。眼科の診断内容も常に伝えます。

 診療の際にはどれだけ自身の症状を的確に伝えるかに集中します。主治医に私の状況をより細かく理解してもらうことで、私の診療効果に影響があると学んだからです。

 そのお陰か、転移の肺がんも薬の効果を得て、腫瘤が微小になり鳴りを潜めています。薬での根治は難しいものの、しばらくは抗がん剤抜きの生活が送れます。

がん治療 休職日記 毎日日曜日 副作用とともに生きる

 がん治療で抗がん剤を使えば、副作用があります。

 副作用は、千差万別。100人いれば、100通りの症状があると聞きます。言いたいのは苦しむだけが投薬治療ではないという話。

 

 そんな中、世間ではいかに苦労したかと場合によっては、がんではなく副作用で他界したというような話も聞いたりします。私も会社を休職する前に仲の良い取引先の担当者と病気の話になり、上記のような苦しい話が世間にあることをたくさん聞きました。

 

 ただ、千差万別の出方をするのが抗がん剤の副作用です。必ずしも生きる死ぬの話ばかりではありません。それでも世間ではあまり話題にならない抗がん治療でも日常生活を淡々と送るという話を書こうと思いました。

 

 休職するくらいですから、投薬後の、気持ち悪さ、日常の倦怠感、集中力の欠如など、様々な影響があります。それでも私は日常生活をつつがなく送るように心がけることができています。何も身に起きていない訳ではありませんが、暮らせます。寝込んでいて、布団から手の届く範囲だけが世界ではありません。

 

 前回、2回目の抗がん剤投与の際には、仕事は続けていました。抗がん剤の治療を受けながらの仕事です。しながらの「ながら仕事」と表現することもあるでしょう。その時は今の抗がん剤よりきつい薬を投与していました。症状としは腹膜播種の状態で、主治医からお腹の中はがん細胞で一杯と告げられていました。

 

 飲み薬との併用の今の治療の方が穏当と思うのですが、身体への影響は今の方が大きいです。前回は「2週間に1度の投薬」と「帰宅後に補助的に点滴投薬を2日間」続けます。今は「3週間に1度の点滴」と「補助的に飲み薬を2週間」飲みます。今回この飲み薬で言われる副作用がどんどん身体に出て、休職を選びました。

 

 休職して治療と聞くとどんな悲惨な状況かと想像しがちです。しかし治療のためと言いながら、休職後には休職後なりの世界があり、仕事人間だった私には、様々な気づきも多い生活です。