がん治療 休職日記 毎日日曜日

がん治療で休職しました。休職後の生活の変化とがん治療、抗がん剤の副作用について書いています

がん治療 休職日記 毎日日曜日 家内の支援

 がん治療を続けるにあたって、家内のささえがあって何とか成り立っています。

 

 抗がん剤投与や、検査の日、副作用のための外科以外の問診、必要書類の提出や受け取りなど家内の運転で病院まで行きます。特に抗がん剤投与後はフラフラで顔面も蒼白、気持ち悪いなんてもんじゃありません。約3時間の投薬ですが、終わり頃を見計らって家内が迎えに来てくれます。

 

 口内炎や味覚異常の時でも、三度の食事の用意をお願いしています。今日は食べられそうだとか、量は少なくていいとか、食べられそうなものは何かとか、私以外にも家内も必死に考えて用意してくれます。

 それでも一口食べて、無理だと思うと食べられない時もあります。、朝調子良くても夕飯の時には食欲がないというのも、またその逆も日常茶飯です。

 

 家内が一度、食事の用意で万歳したことがあります。「せっかく作っても食べない」とか、「そもそも何を作ったらいいか分からない」とか、「食べてみないと分からないと本人が言っても自分はもっと分からない」とか、そんな理由でした。それでも食事含めた私への支援は続けてくれています。

 

 世の中には、夫の病気を理由に離婚する家庭もある様です。家内の遠い知り合いだけでも2件の事例があります。

 「病気の面倒見られるほどの愛情がないと分かったので、離婚した。夫は実家に行った」というのは直接当人から聞いたそうです。世の中甘くないと思います。十数年の夫婦関係なんで病気一つで壊れるのかと、自身の今の環境からは感慨無量です。

 

 芥川龍之介の小説で「蜘蛛の糸」というのがあります。悪人の主人公がかつて蜘蛛一匹を助けたことで、死んで地獄に落ちた際に、お釈迦様から蜘蛛の糸一本の情けを受ける話です。結末は、ご存知の通り、自分の糸だと主張して他を顧みない叫びで糸が切れ地獄に逆戻りするという内容。

 

 家内の助けをもらう私は、見えない蜘蛛の糸にぶら下がっているのかもしれません。世の中、たとえ妻でも病気一つで夫を放り出す時代。私の身に起きてもおかしくなかった。それでも家内は必死に私とは異なる困難を抱えながら、私の回復のために助けてくれます。

 家内は、私の治療スケジュールを中心に家事を回し、息子のスケジュールを見ながら日常生活を送っています。自分のためというより家族のため。仕事人間の私が休職することで見た家内の日常は家族のための生活でした。

 

 私のつかまっている蜘蛛の糸は一本でしょうか。そんなこと思いながら過ごすと、その糸とは、大変強固で、太い糸。そこにぶら下がらり、必死に登って日常生活という目的地まで辿り着かせてくれる糸なのかもしれません。家内の支援に感謝の念で一杯です。