がん治療 休職日記 毎日日曜日

がん治療で休職しました。休職後の生活の変化とがん治療、抗がん剤の副作用について書いています

がん治療 休職日記 毎日日曜日 入院して思うこと

 がんの切除手術(何度か入院しています)で入院した時の話です。

 

 入院すると、見舞客が来ない限りほとんど喋りません。ずっと無口です。同じ部屋には数人は入院患者がいますが、余程のい喋り好きでないければ、他の入院患者に話しかけることもないです。

 特にサラリーマンの入院患者は(私もそうですが)、他の患者がうるさく思わないかとか、騒がしくしないかとか、病院のルールはどうなっているかとか気にする姿を多く見かけました。

 

 老齢な方には、朝、目が覚めたからだけが理由なのか、6時前でも電動の髭剃りを起動させて、看護師に注意されたり、昼は寝ていて、夜皆が寝静まった時に、ナースコールを連発したり、手術後すぐで水飲んじゃダメと注意されているのにうがいしたいとして水がくると飲んじゃったり、動きづらいからと、体に装着されている検査観察用のコードは外したりと、かなり無法な様子を見かけていました。

 

 私はがんになる前は健康だけが取り柄のような生活者でした。そんな私が入院を目の当たりにするのは、息子が3歳の時です。

 

 息子は、川崎病で、お茶の水にある大学病院に入院しました。3歳でも親の付き添いは禁止されていたので、息子は1人、病院で数日を過ごします。様子を見に病室を覗くと、ベットに腰掛け、足をブラブラさせながら、看護師さんと話す息子を見ました。

 

 私に気づいて、何だか恥ずかしそうな顔をしながら、笑顔を出してこちらを見る姿に、何だかこちらが泣きそうになったのを覚えています。小さな手の甲に点滴の針を刺し、子供だからかその針を包帯でぐるぐる巻にして外れない様にしていました。

 入院すると点滴は必須なのでしょうが、親から見ると痛々しくも見え、それもまた泣きそうになるのです。私にとっての入院の風景です。

 

 自分が入院するなるとどうでしょう。ほぼ毎日ですが、2時間ほど家内が様子を身にきます。その時だけ人と話ができます。家内が来られない日はもちろん無口。人と話さないと何ともつまらなく、コミュニケーションを欲する様になります。

 

 ある時、隣のベットのご老人と研修できている看護師の話が漏れ聞こえてきました。研修の一環で患者に寄り添うそうです。患者のお話聞きますということらしかったです。

 そのご老人は、なぜか「〇〇で生まれてなぁ…」と自身の生涯を話し始めました。それを聞いて一日無口で過ごしている私は、自分の人生の話を聞いてくれるなら、数時間でも話ができるのになぁとそのご老人を羨ましく思うのでした。

 

 世間ではスパーのレジでも店のスタッフの話しかける老人がいますが、自分が誰とも話さない日を送ると、誰かと話したくなるものだと日常を思い返し、実感します。

 

 家内が、なるべく毎日を前提に1時間から2時間ベット横で過ごしてくれます。その時私は、入院していたあの時の息子の様に、ははにかみ、笑顔を作ることはできませんでした。ただただ、時間をつまらなく過ごす入院で、心丈夫になる瞬間です。

 きっと私は心の中では、家内に対し、3歳の時のあの時の息子のように、はにかんだ笑顔だったのかもしれません。