がん治療 休職日記 毎日日曜日

がん治療で休職しました。休職後の生活の変化とがん治療、抗がん剤の副作用について書いています

がん治療 休職日記 毎日日曜日 病院で「笑点」を見た

 かかりつけ医で、がんの診断を受け、急遽入院。大きな病院への転院までの5日間の出来事。

 がんと聞き、しみじみ「これで終わりか」と思ったら自然と泣けてきます。何もがん知識のない中でのがん宣告は「人生の終末」しか思い起こさせません。ベットの上ではここまでの自分の歴史、昔のことばかり思い出します。今までの人生を何度も何度も振り返る思考の作業。

 

 子供の頃、記憶の残る2歳くらいからずっと今までの軌跡を繰り返し何度でも思い出しました。普段は気にも留めない記憶も、いつも思い出す失敗も、上手くいった時のことも。兎に角今までの人生を何度も何度も思い出します。岐路になったの時の判断を改めて審査。「あの時のあれはあれで良かったのか?」って。

 過去の記憶から今を思い、今を肯定できるか、その繰り返し。

 

 辿り着いた答えがあります。「我が生涯に一片の悔い無し」です。有名な漫画の一節。私は草莽の中、無名でも挑戦しながら生きてきて、細い道を何とか歩んできた記憶ばかり。その記憶が私に「人生の終末」の覚悟を決めさせます。

 

 終末の覚悟が決まると、次は家族。「私が居ない中、暮らしていけるか?」そう思うと残せるお金の算段にに入ります。ググって調べ、妻に残せる生活費や息子の教育費など、終末以降の算段を必死に行いました。結果、何とかなると分かった時の清々しさは、きっちり人生終えられるという、ボードゲームなら得点のお釣り無くゴールできたような、そんな気持ちです。今思うと人生を仕事のように捉えていたのかもしれません。

 

 そんな日々の日曜日の夕方、TVで「笑点」でも見ようと思い立ちます。何もすることがなく、お笑いを見るなんてちょうど良い。TVカード、イヤフォンの用意、TVの光の漏れ方など気を使い、ルール通りの準備。

 

 すると大音量でTVの音が聞こえてきました。通路向い、隣の病室などから大音量。「えっ!ここってルール無視でイヤフォン使わないでTV見るの?」高齢者ばかりの各病室はルール無用。

 ただ不思議なことに、その全ての入院患者が「笑点」を見ているのです。チャッチャラチャラチャチャ…と聞き覚えのある音楽。もちろん自分のイヤフォンからも。

 示し合わせもせず、個々人が身勝手に大音調で離れた場所から同じ番組を見ているのです。そして私は「笑点」のオープニングの音楽に包まれました。内心では笑っています。

 

 「人生の終末」の覚悟のため何度も自分を振り返り、家族を省みて真剣な気持ちしかない自分が、急に笑っています。

 恐らく家でも、慢性病で入院してもどこでもおのれの習慣を曲げず、しかも同じ行動をしようとするその集団に、生活の些細な事柄でも、貫き通す強い人を見た気がしたのです。

 

 「これで終わりか」から「悔い無し」になり、「家族の今後の生活」という現実を慮って真剣になったものの、この老人達「強いなぁ」と感じたのです。その強さは周囲の一才を顧みていません。

 

 そうして、「笑点」をきっかけに試練や苦労が沢山あっても、自分の思うように、そして自分の感じるように生きてきて、そして生きられて良かったと思うのでした。