がん治療 休職日記 毎日日曜日

がん治療で休職しました。休職後の生活の変化とがん治療、抗がん剤の副作用について書いています

がん治療 休職日記 毎日日曜日 孫

 がんと孫について。私が最初がんになった時、息子は13歳でした。

 

 13歳の息子とがんについて話すと言っても、病状を言うしかありません。家族なのですから、何も知らずにいるより良いのではと思っていました。心配を増長するような言い方しません、客観的に症状を言うのみです。

 

 話の最後に私が息子に呟きます。

 私「もう孫の顔も見られないかもな、そこまで長く生きている分からないな」。

 息子「お父さん、僕は陰キャだから、結婚できないと思う。だからお父さんが健康で90歳まで生きても孫の顔は見られないよ」。

 

 息子がそんなトンチみたいなことを言うとは、笑いそうでした。私を安心させたかったのでしょうか?何でしょうか?病状の話が急に家族団欒のような雰囲気に変化します。

 

 実は、最初の更に最初、がんと分かった時には、居間で息子が私に向かい言ったのです。

 「お父さん、僕、学校辞めなきゃだめ?」

 

 私学に通う息子は、病気で学費なり、家族の状況の変化なり、なんらかの不安があったのだと思います。13歳でもそれなりに心配して、身に起こるかもしれない不安をストレートに口にしたのです。

 

 父親として息子の心配を取り除きました。親として思うと、息子の成長を感じる時でした。

 困難には家族で立ち向かうものと思う私は、自分の環境が変わる予感を不安に満ちた言葉で、真実を聞き出そうとする息子の成長がうれしく思いました。同時にがんの治療が始まる私は、自身の不安とも戦うのです。

 

 どんな事情があっても、孫は見られないと言うのは不安吐露後の話です。色々な経験をして、私が成長するように、息子も成長していると思いました。そのことは、身に染みるものが何か分からないながら、泣きたくなるのでした。